2009年10月24日

幸せに感じること

最近。

疲れがたまってます。

休みない感じす。

もう休みてぇって思ってふてりそうになったけども、

ふと考えたら、

自分が愛してやまないサッカーの時間がほとんどでした。

疲れが心地よいものになり、

眠れました。

サッカー

ありがとう

これからもお願いします。

今いるチームのやつらは真剣だ。

結果がどうなるかはわからないが、

あいつらは真剣に上を目指している。

俺もさらに真剣に、純粋に、利益不利益が問題じゃなく、

あいつらと一緒にプロの壁を壊してやろうと、壊したいと、

一層気持ちが入ってきました。

苦しいときに一歩身を引いたり、一歩下がることは

いつでも誰でもできる。

苦しいときに一歩でも前に、一歩でも進める

自分から飛び込んでいけるよう

やっていこう。


  

Posted by コウジ at 21:30

2009年09月18日

常識・普通・一般的

先日、大学のときのサッカー部の友達からメールがきて、「9月に仕事やめてサッカーに専念するわ」と聞かされた。

これを周りの、いわゆる一般的な普通な常識といわれるものがある人間に言わせれば、「仕事をやめてまで、馬鹿じゃない?」ってとこだろう。

でも俺は、そいつはすげぇ自分に正直で、いいなって思った。
サッカーを選んだってとこで、俺と似たようなところがあるからじゃなくて、社会的地位を捨ててまで、自分に正直な道を選んだってところがたまらなく良かった。
自分で選んだってところがさ。

そいつは決して頭いいヤツじゃないけどね。俺の大好きなタイプの馬鹿野郎だよ。

夢とか希望を持つヤツを、簡単に否定できちゃうような冷めた人たちよりも、よっぽど人間らしくて大好きだ。



最近良く思うんだけど、幼稚園のときとかの夢で、
「飛行機のパイロット。野球選手。」
って言ってた人たちは、いつからその夢を忘れてしまったんだろう。あきらめてしまったんだろうって。


「それが現実だよ」って誰かが言うかもしれないけれど、本当にその夢を追い続けたヤツがパイロットになっているんじゃないかな。

幼稚園の時の夢が全てじゃないけど、必ず社会に出る前の期間に、本当に目指したいものがあったはず。
皆きっと、自分をどっかであきらめちゃってるんじゃないかって、自分であきらめたのに、社会の流れ・日本の就職する文化のせいにしてって。


そんな風に思ったりする。


もちろん、今やっている仕事や生活が本当に望んでいたものの人も大勢いると思う。そうじゃなくても、今の自分に自身を持っている人も。
そういう人たちは凄いよ。


まぁ俺が思ってるからって世界全部が変わるほど俺は凄いパワー持ってるわけじゃないけど、
自分に正直な人生を送る人が増えればいいなぁと思う。単純に。
夢や希望が物理的に不可能であった人も、夢や希望と引き換えに今の生活があるってことをもっと真剣に考えてほしいなあと思う。切に。


プライドってあんまいい意味じゃなく聞こえるけど、俺はもっと自分自身・自身が選んだ道にプライドを持ってほしいと思う。



これ読んで、
「それはわがまますぎっしょ。人生そんなに甘くないよ。」って思うか、
「自分に正直に生きるっていいじゃん!」って思うかで、多分分かれるんだろうなぁ。



ゆっくり誰かと日本語でこういうこと語り合いたいなぁ。






友達へ、自分に正直に生きていれば、結論がどうであろうと自分の人生を生きていけるはずだよ。がんばれ!!
  

Posted by コウジ at 10:36

2009年08月24日

頑張るという意味

今日は一週間に一度のオフ。オフといっても自分でそう決めているだけだけど。
そんなヒマな日に、ネットでお笑いを見ていたらある事件の動画が目に入った。約1年前の川田亜子アナの自殺?事件についてだった。俺はその事件を知らなくて、えっ!?と思い見てみた。その事件は芸能界の裏事情として、真実は未だ闇に葬られているようだった。その後、時間を忘れてその事件について、ネットを検索し続けた。
詳しいことは長くて書けないけども、その事件について大体把握できた俺は『現実』ってものの冷徹さを思い知らされた気がした。

その後ぼーっと色々なことを頭が巡った。

それでタイトルでも書いたとおり、頑張るという意味について考えだし、自分なりの意見がまとまったので、日記に書こうと思った。


俺は頑張るって言葉が好きだ。だから今まで自分の中では頑張ろうって思って生きてきたつもりだ。それが頑張ったって事になっているかは俺自身はわからないけれども、そうやってきたつもりなんだ。
その頑張った結果かどうかはわからないけれども、俺は人生の中でかけがえのない人たちに巡り合って来れたと思っている。
今の俺があるのもみんなのおかげだと思っている。俺の周りにそういった素晴らしい人たちがいたから、頑張れてこれたんだと。

でも、頑張ることは意味がないという人もいる。頑張っても結果を出さないと、頑張ったことにはならないという人がいる。頑張ることよりも、結果の方が大事だという人がいる。

俺も24年生きてきたわけだから、その人たちの意見も理解はできる。

何が正しいのかわからなくなった。

楽して成功した人、悪さをして権力を得た人、生まれながらに権力を持ちそれを悪用する人、権力を振りかざし頑張りをあざ笑う人。

頑張っても頑張っても結果が出ない人間は、そういう人たちの前では無意味な存在なのだろうか。頑張らずに、そういう人たちに媚諂って生きていった方が賢明なのだろうか。
『頑張る』は結果を出せない人たちの、自慰行為・自己満足なのだろうか。

色々こういうことを考えても考えても、頑張るという本当の意味・価値の答は、俺には出せなかった。


でも『頑張る』ってことの本当の答がわからなくても、まがい物の俺の『頑張る』でさえ俺の人生に幸せ・喜び・悲しさ・悔しさ。そういったたくさんの彩を与えてくれた。
そのおかげで、俺の人生はもちろん上手くいくことばかりじゃないけど、生き甲斐のある人生になってる。
だって今楽しいもの。
それはまぎれもない真実で変えようのない事実だ。



だから俺は、育成指導者として、一人のサッカー人として、結果を出すことは大事。
だが、『頑張る』ということは、どれだけ自分の財産となり、それが人生の糧になっていくかということを、できるだけ多くの人たちに伝えていきたい。上手く伝えられるようになりたい。
そう思った。
俺が今感じている、『頑張る』ということの大きな意味・価値を、俺と同じように、それ以上に感じてもらえるように。
そしてその人にとって、『頑張る』が好きな言葉になるように。




もしも神様がいるのなら、
「『頑張る』ということはとても素晴らしいことなんだよ。」
といって欲しいものだ。





みんなが今いる環境の中で、頑張るということの価値はどう評価されているんだろうか?教えて欲しい。




川田亜子さんのご冥福を祈ります。
  

Posted by コウジ at 20:03

2009年07月30日

ブラジルに来て約2ヶ月

サッカーは選手じゃないとしても
選手のときと同じくらい想像性が必要だと感じ
そこにサッカーへの面白みが一層深くなり
まだまだ自分が上手くなれることに喜びを感じ
サッカーを極めることに目標を定めることができた


たとえ足が動かなくても、俺は俺しかできないサッカーを
これから創りだして、それを人に伝えていく
コーチや監督というよりも
俺がしてきた・学んだ・創り出した
そのサッカーを伝える人であればいい
それができる職業がコーチならコーチになろうと思っているだけ
こういうコーチに!とかいう憧れ・目標なんて無い
あくまでも自分自身としてサッカーを伝えていきたい

サッカーを愛する人生をくれた神様
サッカーができる環境を与えてくれた両親
チーム・チームメイト
サッカーを通じて出会えた人たち
改めて感謝しなければいけないなと思った。




ブラジルに来て2ヶ月。うまくいかないことばかり。
でも応援してくれる家族・友達に胸張って帰国できるよう
まだまだやっていきます






ニホンノゴハンタベタイナ   

Posted by コウジ at 11:39

2009年07月25日

自由と責任

初めまして。初めての日記ですが、
半端なく長いので、かなり長くなります。暇なときにでも読んでください。

一人暮らしをしていて、しっかり運動しているのにもかかわらず、布団に入るのは11時ごろなのに色々なことが頭をめぐって寝られずに、多分寝ているのは朝の4時過ぎ。頭の中に様々な思いが巡っていて全く寝られないから、起きて言葉にして吐き出すことにした。
日本で元気が有り余って寝られないことはあっても、こうやって次から次へ疑問や自問自答が激しく混ざり合って、ちょっとした興奮状態になって寝れないなんてことはそうあるもんじゃない。(好きな子からメールが返ってこないときは寝られないな。)
日本では必ずといっていいほど、明日の予定があって自分の睡眠時間の調整をする。それはとてもいいことで偉いこと。
でも俺が今ワザとしないこと。
俺は半寝しているときは頭がゴチャゴチャして不快だったけど、ノートに全て書き出して落ち着いてよく考えたら、こんなにも自分自身のことを寝られない位考えられる今がすごいことなんだと、自分だけの時間なんだと、改めて一人暮らしを決めたこと、一人の時間を持つことを選択したことが正解だったなと感じた。
頭の中を駆け巡っていたのはサッカーのことばかりじゃなくて、失恋の時のことや、友達のこと、家族のことなどホントに様々だった。3時間くらい目閉じて思いが交錯し続けていたんだ。
それでいて、これからのことや将来を心配するようなことじゃなくて、ホントに勝手に出てくる自分の考えだから、今までの拘束されていた時間で悩んでいたこと等が凄くちっぽけに見えてきて、たいしたこと無いことがとても幸せに思えてきて、純粋に今自分がこういうことしたい、こう思うってのが、ポッと浮かんできたりした。
『あぁこれが自分か』って何か思えた。
ブラジルの最後の2ヶ月の選択は本当によかった。何もしてないように見えても、何もしないができているってことがもう素晴らしい。寝ているときは特にだけど、今思えば、一人で居るときは、自然といろんな事を考えてる。
この自由ってモノを感じようとしてもきっと9月に日本に帰った後は、何にも拘束されていない本当の自由は死ぬときまでこないんだろう。
でも、何もかもから開放された自由ってモノはなかったとしても、細かい自由たちは自分の中で作り出せると思う。選択する自由・考える自由・愛する自由・作り出す自由とかね。
選択の自由といっても、選択肢の自由はないかもしれないな。自分のやりたいことでも、自分にできる範囲内での選択肢になるだろうから。金のこともあれば能力の限界だってある。そいつは自分の運命に『どんまい!』って励まそう。
でもそれ以外の自由ならば、自分が周りからの目や一般常識といわれるくくり、日本に置ける文化ってモノなんかに物怖じしないで、自分の状態が苦しくなっても自由を貫く意志があればもつことができる。
自由って簡単な言葉だけど、それを作り出すには相当な勇気が必要なんだな。何もしないってことは自由だけど、それは本当の自由なんかじゃなくてただの責任逃れで、自分で考えて生き方を選択するってことが本当の自由なんだと思う。
そう思うんだからそれでいい。
そして俺のその選択・自由はサッカーなんだ。それはプレーすることも指導することも全部。とにかく俺のサッカーを表現し続けるってことが俺の自由だと感じた。
なんてったって俺はサッカーをしているときが一番人間らしさを表現できていると思う。普段の生活で俺はめったに怒らない。悪いことするのも嫌いだ。万引きだってしたことも無い。怒りを見せる相手は家族くらいかな。
でもサッカーになれば俺は怒ったり、人をふっとばしたり、ずる賢いこともする。勝てばものすごく嬉しいし、負ければ死ぬほど悔しい。泣く事だってある。
普段友達といるときや、生活しているときの俺がウソってことじゃない。サッカーをしているときに、俺の中にある感情全部がバって一斉に強烈に表現できるんだ。だからサッカーをしているときは本当に無我夢中ってヤツで、俺の頭の中からなにから全部が全部サッカーになるんだ。この気持ちは伝えようと思っても無理だね。残念だけど。
これに似た感情を唯一出せるのは家族の前や本当に気の知れた友人の前だけかな。だから親友って呼べるヤツの前では自分は本当に楽な気分なんだよ。自由だからね。
自分の表現の自由が与えられるステージを勝ち取るのは難しい。俺のサッカーっていう表現のステージを勝ち取るのだってもちろんそうだ。生活だって安定させるのも難しいし、常識人と言われる方々には馬鹿にされるかも分からない。

でも俺は、俺の自由な意思でサッカーの世界に生きることを選択し、俺のサッカー(自分自身)を表現できるステージを自分の力で勝ちとることに全てをささげる。(親には助けてもらってもちろん感謝している。だから自分の選択した道で絶対に親孝行する、しなきゃ。)

それが俺だけの自分が決めた人生だから。

だから楽しいんだよ。



これが全てってわけではないけど、こんな風に俺は自分にとってのサッカーってこういうものなんだなってのが、ブラジルに来て見えてきた気がする。これを見えるようになるために来たのかもしれないな。

こうやって俺の進む道を、いつも親は応援してくれるけど、きっと誰よりも不安なんだろうと思う。きっと俺よりも。本当に感謝してる。
俺が勝手に思うことだけど、きっと親が一番喜ぶのは俺が選んできたこの道で、俺が納得いく結果が出せたときだと思う。だから俺は絶対にやらなきゃならない。それが俺の自由な選択をしたことにより生まれた責任だと思う。
結果を出して、親にちゃんとありがとうって言いたいや。
それが俺の最大の目標かな。


俺の意思とサッカーについては、こうやって真面目に考えることはあるけど、何でサッカーやってんだ?ってことも最近思った。
『好きだから』
しかなかったよ。どこが?とか、なにが?とかじゃなしに、惚れてんだ。
片思いしたことがある人は分かると思うけど、まさにそんな気持ち。究極の片思い。
人間の彼女は愛してるって言えば愛してるって応えてくれるけど、サッカーはなかなか言ってくんないんだ。
そんな気持ちを俺は18年間くらい思い続けてるんだ。これからも続ける気なんだ。
笑えてくる。球蹴りに一生かけようとしてんだ。


いつかサッカーが「愛してる」って言ってくんねぇかなぁ。って思いながら、俺はサッカーを続けていこうと決めました。   

Posted by コウジ at 15:05